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2004年09月29日
富士山測候所
とうとう無人になってしまったようですね。
本文でも紹介されていますが、登山を始めてから読んだ本の中に新田次郎の「富士山頂」があります。
また、富士山測候所の日記記録もその一部でも公開されれば是非読んでみたいですね。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040929it06.htm富士山測候所72年の有人観測に幕…最後の4人下山へ
富士山の山頂にある気象庁富士山測候所。72年間にわたって、職員が気象観測を行ってきたが、自動観測装置の整備に伴い、今月いっぱいで常駐観測を終了する。 職員たちは雪と氷に閉ざされる冬を耐え、夏には落雷の恐怖と戦いながら、観測データを蓄えてきた。九州に上陸した台風21号は、列島縦断コースをとる恐れも出てきたため、職員4人は台風通過を待って、10月1日に下山する予定だ。頂上では、暴風雨との最後の戦いが始まる。 〈昭和7年(1932年)7月1日朝6時、風は穏やかであるが前夜からの雪が降り続いている――〉 測候所の開設以来、書きつづられてきた日誌は、こんな文章から始まる。標高3776メートルの富士山頂に中央気象台(現・気象庁)の臨時気象観測所が置かれ、通年気象観測がスタートした。 大気の流れを知るには、高層気象の観測が欠かせない。 富士山の観測データは、日本の天気予報に革新的な成果をもたらした。中でも99年に運用を終了した気象レーダーは、気象衛星が登場するまで、台風や大雨予報の主役だった。 ◇ 最高峰での観測業務は過酷を極めた。職員は4人ずつ3週間交代で山頂勤務をこなしたが、特に氷点下30度を下回る厳冬期の交代は命がけとなる。これまでに職員4人が殉職している。 「登山訓練は受けますが、職員たちはプロの登山家ではない。猛吹雪に耐え、必死で登ったんです」。後方支援のため御殿場基地事務所(静岡県御殿場市)に詰める滝澤袈裟夫・富士山測候所長(59)は、そう語る。 高山病にも苦しめられた。長年気象庁に勤め、富士山測候所の勤務経験もある作家の新田次郎は、著作「富士山頂」(文春文庫)の中で、高山病についてこう表現している。 〈発熱による頭痛とは違って、頭に鉄の輪をはめられて、しめつけられるような痛さだった〉 それでも、山頂勤務希望者は後を絶たなかった。強い精神力と肉体が要求される職場は、気象庁職員にとってあこがれだったのだ。 ◇ 測候所が無人化されるのは、保守の手間が大幅に省ける自動観測装置が整備されたため。年に1回程度の点検で、過酷な条件下でも気象状況を刻み続けることができるという。 滝澤所長は、「もう、富士山を見上げて、職員たちの心配をしなくてもいい」と笑顔を見せたが、「でも、やはり寂しいですね――」と、すぐに唇を結んだ。
(2004/9/29/13:53 読売新聞 無断転載禁止)
投稿者 cottonclub : 2004年09月29日 23:23
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